2017年4月12日水曜日

加江田神社

加江田神社 (旧郷社)







祭神:天照大御神 あまてらすおおみかみ
  :伊弉諾命 いざなぎのみこと
  :伊弉美命 いざなみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市学園木花台桜一ノ二九ノ四

例祭日:三月三日

社殿:本殿(神明造) 五.八坪
  :拝殿(流造)二〇.四七坪
~寛政十一年(一七九九)造営、飫肥藩伊東家寄進

境内坪数:九八〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 伊弉諾大神が檍原で禊された所として、元加江田村字中原という所に鎮座された。
寛文二年(一六六二)の大地震の時、海辺の一村は沈み、田畑高八五〇〇石が損失し、その他末社斟鉢神社(斟鉢山山頂付近)の社領も海に没した。
その時河野某なる者、ご神体を泥海の中から辛うじて奉り、字仮神という所に小社を過構えた。
寛文十二年(一六七二)九月十八日字丈之馬場へ遷し奉った。
寛政十一年(一七九九)九月二十九日ご殿並びに舞殿等を再興する。

此社は往古より加江田伊勢神明宮と称し、日向国旧社の一社である。
ことに皇室の大祖たる天照大神ご出生の霊蹟と云い伝えられ維新の際加江田神社と改称、郷社に列せられる。
維新以前は、飫肥藩崇敬社としてご神殿、祭具等伊東家のご紋を彫刻され、毎年二、六、九月の例祭には領主自ら参拝された。
祭典時には神事料、玄米弐石弐斗八升を下賜されたと伝えられている。

天照大神が上古天の長田狭田に御田作られし古事に準じ、毎年三月の例祭には社人牛を用いて田作りをする。
その時松葉を苗として植える。
里人は祭典修めを待ち其の苗を申し受け我が家の守り神として謹んで拝するのである。








境内に末社
斟鉢神社の遙拝所があります。






境内末社 福智神社






境内末社 御年神社




奉納碑




↓書き起こし文

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奉納碑

 当神社は、寛文二年(一六六二)の外
所大地震により水没した為、加江田元伊勢
から高台の当地に移転してきた。その後、
平成五年の台風で鳥居の倒壊を初め、境内
各所に大きな被害を受けた。
 その為、大地震から三百五十年にあた
る平成二十四年までに、元伊勢の風格にふ
さわしい本来の荘厳な姿を甦らせたいと整
備を進めてきた。平成二十一年には、天皇
陛下御即位二十年及び本殿再興二百十年を
記念し、社殿周囲の石垣積み等の大造営を
行った。また、最終整備として神社正面右
手と大楠を囲む石垣上に玉垣を、更に境内
に灯籠を設けようと計画準備していた。
 ところが、平成二十三年一月二十六日霧
島新燃岳の大噴火、同年三月十一日東日本
大震災と未曾有の大災害に見舞われた。天変
地異は日本列島の宿命ながら、当神社の氏
子崇敬者の神に対する畏敬の念更に強く、
社会情勢の厳しい中一致団結して、灯籠二
十四基、玉垣八十基を寄進し、この造営事
業を無事完成させた。
 天地悠久の大道である神道を以て、神職
氏子崇敬者一同、神のみこともちとして国
の復興、隆昌、世界の共存共栄を祈り奉納
するものである。

  平成二十四年二月二十四日

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伊勢神楽

毎年三月三日の春の例大祭で五穀豊穣を祈願して舞われています。
一時は舞手が一人になってしまい廃絶の危機にありましたが、平成十九年から地元の子供たちへの指導にあたるなど継承に努め、平成二十五年十月十五日には伊勢の式年遷宮で奉納されました。






参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

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