2017年4月12日水曜日

富吉神社

富吉神社 (旧村社)







祭神:誉田別尊 ほんだわけのみこと - 応神天皇 おうじんてんのう
  :息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと - 神扐皇后 じんぐうこうごう
  :足仲彦尊 たらしなかつひこのみこと - 仲哀天皇 ちゅうあいてんのう

鎮座地:宮崎県宮崎市大字富吉四八九八の一番地

例祭日:十一月十五日

社殿:本殿(八幡造) 二.五坪
  :拝殿     一八坪

境内坪数:二、〇八七坪

創立年月日:久安四年(一一四八)

由緒沿革:
 当社は、八幡宮の本宮である宇佐神宮のご分霊を勧請したもので、富吉村の産土神として祀られてきたと伝える。
文安四年(一四四七)には、領主藤原(伊東)第十一代当主祐堯公により社殿造営。
文明十年(一四七八)には時の領主牧野越中守により社殿の造営が行われている。
さらに慶長五年(一六〇〇)、元文二年(一七三七)、文政十年(一八二七)にも社殿の造営が行われ、明治二十四年に半年の期間を要してご造営されている。
現在の社殿は平成十二年に造営されたものである。

明治四年十一月村社に列格、同三十九年四月神饌幣帛料供進すべき神社に指定される。

大正三年頃まで十一月頃に流鏑馬が行われていた。現在、水流地区に[躍蚕馬場]と地名が残る。

 皇后は武運に優れた方で仲哀天皇御崩御の御懐妊のまま朝鮮半島に遠征され百済、新羅を制圧されたと言われています。
その後、応神天皇を御安産になり長年に至り国事に当たられ百歳の長寿を全うされた、と言われています。

 八幡様は全国に四万社あると言われていますが、大分県宇佐神宮がその総本山であります。
八幡様は国民打数の信仰厚く弓、矢、武神の神、学問の神、安産の神として特に有名であります。








御神木 幹廻:三.七M
    樹令:一六〇年








参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

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