祭神:彦五瀬命 ひこいつせのみこと
:軻遇突智命 かぐつちのみこと
:武甕槌神 たけみかづちのかみ
:猿田彦命 さるたひこのみこと
鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲九平 三九七六番地三
例祭日:十二月二十六日
社殿:本殿(神明造) 四・五坪
:拝殿(神明造) 六坪
境内坪数:七二・三坪
創立年月日:不詳
由緒沿革:
当社は創立年月日不明であるが、棟札等は、安永五壬申年(一七七六)七月五日社殿再興とあるのが最も古い。
寛政十三年(一八〇一)酉年二月吉日社殿再興、天保十一年庚子年(一八四〇)十月吉日社殿再興、安政六己未年(一八五九)正月吉日社殿再興とある。
一説には鎌倉時代伊豆の伊東氏が当飫肥に転封され清武城を築城してより、この地に住民を定住させる事となりこの宮を建立されたともいう。
安井息軒(宮崎郡清武町出身、寛政十年正月六日生、明治九年九月没、伊東藩の儒者昌平黌教授)の著書に「姥神洞記」がある。
神社所在地の九平の地名は、高平・上高平・柳平・小平・内平・櫛平・収平・山之神平・児屋之平の九つの平を総括して九平と藩主が命名させたと伝えられている。
此の地は「南方より来る者此に至りて始めて宮崎児湯郡の地を望む」峠でもあった。安井の文にも「我聞姥ヶ嶽神者天狗也」とあるので道案内としての猿田彦命を祀ったと考えられる。
戦前はご祭神「武甕槌神」を戦捷の神として、また「彦五瀬神」は、弾避の神として信仰され出兵兵士の武運長久の祈願が盛んであった。「軻遇槌命」はこの神社を愛宕さまともいった由で火の神としての信仰もあったようである。
昭和三十年一月火災のため本殿、拝殿炎上、翌年六月本殿再興、また昭和五十一年一月拝殿再興する。
昭和五十八年四月二十二日神社本庁より姥ヶ嶽神社と承認を受ける。
参道・鳥居
こちらのお社は双石山という山の中腹に鎮座されています。九平登山口[MAP]からであれば十分、二十分程の登路になります。小谷登山口[MAP]や塩鶴登山口[MAP]から登る場合は二時間程で双石山山頂を経てお社に到着します。
お詣りのみが目的であれば九平口から登った方が早いですが、小谷口からの登路はその途中に磐窟神社、針の耳神社があります。
また、山裾の国道二十七号沿いに秋葉神社や山乃神神社もあります。
初心者でも登りやすい山ではありますが、全てをお詣りするのであれば本格的な登山の準備をお勧めします。
周辺地図→ https://goo.gl/maps/WbLqidDMGTm
九平登山口側には御神水を汲める場所があります。
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]