2017年2月20日月曜日

穆佐神社

穆佐神社 (旧郷社)








祭神:應神天皇 おうじんてんのう

  :仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
  :神功皇后 じんぐうこうごう

鎮座地:宮崎市高岡町小山田三四六八番地


例祭日:十一月二十三日


社殿:本殿(春日造)四坪

  :拝殿(切妻造)六坪

境内坪数:五二一坪


創立年月日:応永元年(一三九四)


由緒沿革:

 当社は、応永元年(一三九四)旧鹿児島藩主八代島津久豊穆佐城主のとき、使を豊前宇佐神宮に遣わし、ご分霊を奉迎し、穆佐城の西約二十町を離れ字小山田に社殿を建立し、宇佐八幡宮と称え、永く島津家の宗廟氏神とし尊崇した。

安政三年(一八五六)月日不詳火災に罹ったが直に改築した。


廃藩置県後、明治五年郷社に列し穆佐神社と称する。

明治三十九年、神饌幣帛料供進社に指定された。








参道のクスノキ






境内のクスノキ










また山を百米ほど降りた場所に、出産と安産に関連する観音様 [MAPがお祀りされているが、当社との関係はない。
今はお参りされる方もあまりおらず、地元の方が月に一度程度清掃に訪れるのみという。











参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年2月17日金曜日

瓜生野八幡神社

瓜生野八幡神社 (旧郷社)








祭神:足仲彦命 たらしなかつひこのみこと - 仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
  :誉田別命 ほんだわけのみこと - 應神天皇 おうじんてんのう
  :息長足姫命 おきながたらしひめのみこと - 神功皇后 じんぐうこうごう

鎮座地:宮崎市大字大瀬町字中尾五七一四番地

例祭日:十一月十日

社殿:本殿(流造)   九坪
  :拝殿(入母屋造)二三坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 聖武天皇の御宇天平九年(七三七)この地に勧請されたと、当社棟札に明記されている。
古くは瓜生野八幡宮と呼ばれ、現在でも地元ではそう呼ばれ崇敬されている。
付近に宇佐八幡宮領瓜生野別府があったところから、その鎮守として勧請されたものであろう。

所蔵の棟札によれば、
第六〇代 醍醐天皇の御宇 延長二年(九二四
第八三代 土御門天皇の御宇 元久元年(一二〇四
第一〇七代 後陽成天皇の御宇 慶長十六年(一六一一
第一一一代 後西天皇の御宇 寛文八年(一六六八
第一一六代 桃山天皇の御宇 寛延三年(一七五〇
第一一九代 光格天皇の御宇 寛政七年(一七九五)と、
たびたび造営再興が繰り返されている。

明治四年八幡神社と改称し、郷社に列せられた。

当社殿後方には、半壊の古墳封土があり、
また境内にはうっそうと茂るクスノキの群落は、瓜生野八幡クスノキ群として、
昭和二十六年六月国の天然記念物に指定された。その最大のものは目通り幹回り約八.九㍍で樹齢八百年と推定されている。
他にもスギ・アラカシ・ヤブツバキ・カゴノキ・ナギ・ヒイラギ等が茂っている。
また宝物として仏光背一面を所蔵している。

 元 
 久 
 元 
 年 
   

 子歳
五  
月  
 日
 州
 八 
 幡 
 宮 

の刻銘があり、光背の両縁には、唐草模様が打出してある。








境内摂社 稲荷社







国指定天然記念物 瓜生野八幡神社のクスノキ群











参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
瓜生野八幡神社 配布冊子 平成29年度版

2017年2月14日火曜日

瀬頭神社

瀬頭神社 (旧村社)







祭神:伊弉諾命 いざなきのみこと
  :彦火々出見命 ひこほほでみのみこと
  :素戔嗚尊 すさのおのみこと
  :磐長姫命 いわながひめのみこと
  :保食命 うけもちのみこと
  :天穂日命 あめのほひのみこと
  :道真命 みちざねのみこと
  :大年神 おおとしのかみ

鎮座地:宮崎市永楽町八五番地

例祭日:十一月三日

社殿:本殿(流造)  約二・三一坪
  :拝殿(入母造屋) 約四・五坪

境内坪数:一八〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 平安時代、鳥羽天皇の御代永久年間の創建で皇女八幡院璋子殿下の領地であった頃である。
明治元年の石高は一二〇石六五七であった。以前は元恒久村の一字地であり明治九年丙子、別に分れて一村になったと『日向地誌 』は記録している。このようなゆかりの地に鎮守として祀られ、七屋神社と称し別名七屋さんの愛称で親しまれ古くからこの地一帯の人々に篤く崇敬された。
 例祭、春祭、夏祭には神楽舞、相撲、力石だめし等、奉納され賑ひたる由なり。
 元恒久村から一村に別れた年の明治九年十月十八日で村社となり、戦後の改革により現在に到る。

平部嶠南・・・幕末から明治にかけて飫肥藩、明治政府に仕えた学者、及び政治家。明治8年(1875年)に 宮崎県地誌編集係に任命され、県内各地を巡り資料の収集・整理に努めた。明治17年(1884年)に『日向地誌』を完成させ、翌18年に編集功労手当を受ける。 - wikipedia -









境内、本殿南側には宮崎市指定の郷土の名木ムクノキがあります。








また、本殿北側に末社が鎮座しています。(詳細不明)








九百年余りの歴史があると云われるお社ですが、本年(2017年)、拝殿の解体および撤去が決定しています。






2017/4/15追記

拝殿一宇が撤去され、境内が広々としていました。












参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年2月8日水曜日

宮崎神宮

宮崎神宮 (旧官幣大社)






祭神:神日本磐余彦天皇 かむやまといわれひこのすめらみこと


相殿:左 鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと

  :右 玉依姫尊 たまよりひめのみこと

鎮座地:宮崎市神宮二丁目四番一号


例祭日:十月二十六日


社殿:本殿(神明流造)約二〇坪

  :幣殿(神明造) 約六八坪
  :拝殿(神明流造)約一二坪

境内坪数:七八、九〇八坪


創立年月日:不詳


由緒沿革

 当社は社伝によれば、神武天皇の御孫、健磐龍命たけいわたつのみこと/熊本・阿蘇神社ご祭神が筑紫の鎮守であったとき、皇居の霊蹟に社祠を建て、天皇のご神霊をお祀りしたのが創建の始めであるとしている。下って第十代崇神天皇すじんてんのうの御宇、また第十二代景行天皇けいこうてんのうの熊襲ご親征にあたり、ご社殿が造営され、さらに第十五代応神天皇おうじんてんのうの御宇に日向の国造が老男命おいおのみことが鎮祭したとある。
 現在の社殿は神武天皇御降誕記念大祭記念事業の一環として、明治四十年に建て替えられたものです。









宮崎の住民には「神武さま」と呼ばれ親しまれています。





毎年十月末の宮崎神宮大祭では御鳳輦やミスシャンシャン馬などの御神幸行列宮崎市の中心部を二日間に渡って練り歩き、多くの見物客で賑わっています。





境内南東部には国指定天然記念物の「オオシラフジ」や国登録有形文化財の「徴古館」などもあります。


宮崎神宮徴古館 国登録有形文化財  [MAP]






 徴古館は、宝物や書籍等の展示のために建設された木造2階建の建物である。
規模は桁行18m・梁間11mで、海鼠(なまこ)壁という外壁に特徴がある。
屋根は寄棟造の桟瓦葺きで、西側正面には切妻形の屋根を付けた玄関を設ける。
窓は鉄格子をはめた上げ下げ窓を等間隔に配している。




オオシラフジ 国指定天然記念物 [MAP]

2017/4/23 撮影)







2017/5/1 撮影)








その他、境内社として宮崎県護国神社、
末社として五所稲荷神社が鎮座しており、
当境内より北西に鎮座する境外社の宮崎神宮元宮とも云われる皇宮神社
高原町に鎮座する別宮の狭野神社などがあります。







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]、宮崎神宮社務所配布パンフレット
宮崎神宮公式ウェブサイト:http://miyazakijingu.jp/
みやざき文化財情報:http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/3756