祭神:塩筒大神 しおつつのおおかみ
:猿田彦神 さるたひこのかみ
:上筒大神 うわつつおのかみ
:中筒大神 なかつつおのかみ
:底筒大神 そこつつおのかみ
鎮座地:宮崎県宮崎市内海六二二七
例祭日:三月二十日
社殿:本殿(流造) 一坪
:拝殿 六坪
境内坪数:一、〇〇〇・六五坪
創立年月日:文安三年(一四四六)十二月三日
由緒沿革:
旧称白鬚大明神といわれ、現在でも地元ではそう呼ばれて親しまれている。
当社の創建は、棟札によれば、
「金輪聖皇の天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久・子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽・よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る」
とある。
その後、貞享二年(一六八五)六月二十五日、明和六年(一七六九)七月四日に社殿の造営が行われている。
また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。
明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。
所蔵の縁起によれば、当社の創祀を次のように伝えている。
村上天皇の天暦三年(九四九)八月、野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。
その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。
尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。
境内には亜熱帯性喬木のアコウの大樹があり、国の天然記念物の指定を受けている。
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]