祭神:伊弉諾命 いざなきのみこと
:彦火々出見命 ひこほほでみのみこと
:素戔嗚尊 すさのおのみこと
:磐長姫命 いわながひめのみこと
:保食命 うけもちのみこと
:天穂日命 あめのほひのみこと
:道真命 みちざねのみこと
:大年神 おおとしのかみ
鎮座地:宮崎市永楽町八五番地
例祭日:十一月三日
社殿:本殿(流造) 約二・三一坪
:拝殿(入母造屋) 約四・五坪
境内坪数:一八〇坪
創立年月日:不詳
由緒沿革:
平安時代、鳥羽天皇の御代永久年間の創建で皇女八幡院璋子殿下の領地であった頃である。
明治元年の石高は一二〇石六五七であった。以前は元恒久村の一字地であり明治九年丙子、別に分れて一村になったと『日向地誌 ※』は記録している。このようなゆかりの地に鎮守として祀られ、七屋神社と称し別名七屋さんの愛称で親しまれ古くからこの地一帯の人々に篤く崇敬された。
例祭、春祭、夏祭には神楽舞、相撲、力石だめし等、奉納され賑ひたる由なり。
元恒久村から一村に別れた年の明治九年十月十八日で村社となり、戦後の改革により現在に到る。
※ 平部嶠南・・・幕末から明治にかけて飫肥藩、明治政府に仕えた学者、及び政治家。明治8年(1875年)に 宮崎県地誌編集係に任命され、県内各地を巡り資料の収集・整理に努めた。明治17年(1884年)に『日向地誌』を完成させ、翌18年に編集功労手当を受ける。 - wikipedia -
境内、本殿南側には宮崎市指定の郷土の名木ムクノキがあります。
また、本殿北側に末社が鎮座しています。(詳細不明)
九百年余りの歴史があると云われるお社ですが、本年(2017年)、拝殿の解体および撤去が決定しています。
2017/4/15追記
拝殿一宇が撤去され、境内が広々としていました。
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
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