2017年11月3日金曜日

宮崎神宮大祭 御神幸祭 (神武さま)


宮崎神宮で毎年十月二十六日に斎行されているお祭りで、直近の土曜・日曜の二日間で御神幸行列が行われる宮崎県下最大のお祭りです。
御神幸行列は「神武さま」と呼ばれ毎年多くの見物客で賑わいます。

初日は宮崎神宮から御旅所(瀬頭と大淀を一年おきに持ち回り)への往路、二日目は御旅所から宮崎神宮への復路となっています。

順路は以下画像の通りになっています。





お祭りの起源ははっきりしませんが、少なくとも江戸時代中期には「神輿社内渡御」の祭事が行われていたそうです。
明治になり宮崎市中村町氏子から県に対して「渡御の儀の願い」が提出され大淀川を越えるようになり、その後規模を拡大し明治四十二年頃から現在のような隊列を組む形になりました。


現在は御神幸行列の他に、順路のすぐ近くに位置する高千穂通りなどで神武さま広場が開催され多くの出店や数々のステージで宮崎県内の神楽や雅楽・和太鼓の演奏、大道芸などが行われています。

行列の順番は昭和十五年(1940)に発行された宮崎神宮御神幸列圖 [wikipedia] に順じています。



列太鼓






御獅子













主典







神饌唐櫃






樂人






女稚児






御鳳輦






唐鞍御神馬






御錦蓋






御菅蓋






男稚児






流鏑馬









皇宮神社こどもみこし







神武こども太鼓






神々のパレード











都城熊襲踊







ミスシャンシャン馬








人力車レディ








JC太鼓








神話ラッピングバス










※平成二十九年の御神幸行列は台風22号の影響で一日目は中止、二日目も一時間遅れでの行列となりました。
その為、おきよ丸やアマテラス等の行列参加がありませんでした。




参考 [宮崎神宮ホームページ / http://miyazakijingu.jp/modules/about/index.php?content_id=6 ]
[宮崎県の歴史散歩 / 山川出版社 刊]

2017年9月10日日曜日

生目古墳群

生目古墳群は宮崎市市街地の西方の跡江の丘陵に分布しています。


国の史跡指定遺跡群(昭和十八年九月八日指定)で、古墳の保存活用を図るため環境整備事業がすすめられ、そのための周辺調査の結果、弥生時代の住居跡群や周溝墓をはじめ、環濠の一部も確認されました。地下式横穴もはじめて発掘されるなど、生目古墳群の重要性が高まっています。
前方後円墳八基、円墳四十二基の合計五十基があり、なかでも全長一00米を越す前方後円墳三基がいずれも前期古墳の可能性がわかり、前期古墳としては九州でも最大級の前方後円墳になるからです。

全長一三七米の一号墳は、大和の大王陵としては最古の箸墓古墳に類似し、その二分の一の大きさに築造された可能性があります。
当古墳群最大の全長一四三米の三号古墳は、西都原古墳の女狭穂塚につぐ大きさで、馬蹄型の周溝と周堤をもち、前方部二段、後円部三段で構成され、墳丘斜面には葺石が施されています。
二十二号古墳は全長一0一米で、三号墳と同じく前方部二段、後円部三段で構成されていた。

三段に築かれた後円部の一番上の部分が、前期古墳との特徴とされる円壇上に造られているなど、古墳造営時期を示す特徴が見られ、古墳時代前期のかなり早い時期に築造された生目古墳は、宮崎平野を統治した日向最強の首長墓ということになります。

また、公園入り口の麓に宮崎市埋蔵文化財センターがあり、現在は生目の杜遊古館として生目古墳群や市内の遺跡から発掘調査された土器などの出土遺物が展示してあります。








一号墳 下から墳頂付近






一号墳 墳頂から北方向






生目の杜遊古館 遠景






生目古墳群史跡公園案内図






復元された五号墳







公園内展望台から南方向






古墳群麓東側 跡江地区から
古墳の築造当初は木々も生えておらず麓からその偉容が見上げられたと考えられています






また、公園内に跡江八十八ヶ所霊場があります













参考:
みやざき文庫64 大淀川 流域の歴史 第一巻 原始・古代から中世へ / 甲斐亮典 編著
宮崎市教育委員会(編)「活き! 行き! 生目古墳群Vol.2: 国指定史跡生目古墳群 ガイドブック」パンフレット