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2020年11月20日金曜日

交通神社

 交通神社 (二千二十年創建)





祭神:神日本磐余彦天皇始奉日向乃國乃天津神国津神八百萬乃大神  かむやまといわれひこのすめらみことをはじめまつりひむかのくにのあまつかみくにつかみやおおろずかみのおおかみ



2020年11月20日宮崎駅前広場にオープンしたアミュプラザみやざきに新しく創建された神社です

宮崎を代表する宮崎神宮本社3柱(神武天皇、神武天皇の父母)の主祭神の分祠をお祭りすることで、宮崎神宮と同じご祭神となり、また県内各地にしずまります神々が集まります。








2017年5月21日日曜日

宮崎八幡宮

宮崎八幡宮 (旧郷社)






祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと - 應神天皇 おうじんてんのう
  :足仲彦命 たらしなかつひこのみこと - 仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
  :息長足姫命 おきながたらしひめのみこと - 神功皇后 じんぐうこうごう  
  :伊邪那岐命 いざなぎのみこと  
  :伊邪那美命 いざなみのみこと  
  :橘大神 たちばなのおおかみ

鎮座地:宮崎県宮崎市宮田町三ノ二七

例祭日:十月十五日

社殿:本殿(流造)六坪
  :拝殿(権現造)六十六坪

境内坪数:二、五〇〇坪

創立年月日:永承年中(一〇五〇)頃

由緒沿革:
 当社は今より千年前の永承年中一〇四六一〇五三この地方の開拓にあたった海為隆(国司)がこの地にそれ以前よりお祀りしていた橘大神とともに宇佐八幡宮をこの地に勧請して祀り、この地方を開拓したものである。

鎌倉時代に記された『建久図田帳』、『宇佐大鏡』などの古文書にも、その頃の地名として、渡別府(わたりのべっぷ)と記され、その頃の様子がいくぶんわかる。
当宮も、渡別府八幡、宇佐八幡、八幡宮等の名称で親しまれていたことは、当宮に残る社宝の棟札からも判明される。

それより時代とともに、内藤の諸侯、領主をはじめ、宮崎郷の中心として信仰され、宮崎の氏神として「八幡さま」の愛称とともに、人々に崇敬されてきた。
江戸末期から明治五年にかけては、この地に私塾(開設杉田千蔭)があり、宮崎小学校はそれを母体に開設された。

当宮は明治時代からは、八幡神社と称したが、その後の発展にともない、昭和四十三年(一九六八)十二月より宮崎八幡宮と改称し、つづいて境域の拡張、整備が行われ、昭和五十三年(一九七八)十月にはご社殿、神門、拝殿のご造営の竣工を見、つづいて昭和五十六年(一九八、参集殿の竣工をなし、武勇の神、安産の神、学問の神、商工の神として、多くの崇敬を受けている。

なお特殊神事として、夏祭り(七月末日)、どんど焼(一月十四日)神事などがあり、多くの参拝者を集めている。







一ノ鳥居先の神門の上部には、それぞれ外側に「萬世泰平」、内側に「神徳教仰」の額があります。





境内末社 稲荷社







境内 水神塔 等








大鳥居より外 北十米程 旧跡案内板






また、年末年始の時期には尊崇される氏子企業等からの奉納品が境内にも多くありました。
下記は大鳥居前に置かれた「川越酒造場(国富町)」奉納の朱樽です。











参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年5月14日日曜日

小戸神社

小戸神社 (旧村社)






祭神:伊弉諾大神 いざなぎのおおかみ

鎮座地:宮崎県宮崎市鶴島三丁目九三番地

例祭日:十月十五日

社殿:本殿(流造) 七.五坪
  :拝殿      五坪
  :拝殿(流造)二七.五坪

境内坪数:四、〇八四.八坪

創立年月日:景行天皇の勅令により創建

由緒沿革:
 当社は景行天皇の勅によって創建したものという。皇紀七百四十年代であろう。
古来より、今の大塚地区と下北方地区より下流域、すなわち旧市街地全域を小戸と称し、大淀川河口小戸町小戸の瀬は小戸神社鎮座の清浄の地として祀られ、今も夏祭の名越歌に

 港口には黄金の真砂  沖の小戸の瀬、宝浮く

と歌いつがれ、三千年来、尊び敬われて来た。いわゆる、祓詞の筑紫の日向の橘の小戸という地名をそのままに、太古伊弉諾尊が禊祓をされたゆかりの地であり、皇祖天照大神をはじめ諸神ご誕生の聖地の神社であると伝える。

此後、文明五年(一四七一)癸己三月一八日社殿造営、延徳二年(一四九〇)庚戌八月社殿修復、天文一五年(一五四六)丙午四月一四日ついで永禄九年(一五六)丙寅十二月二十六日社殿の改築がなされたが、永禄、天正の乱により、ご神領の三十町も断絶、多くの神宝及び旧記等も滅亡した。

その後寬文二年(一六六二)九月十九日西海大地震の際、高潮の災厄により下別府より大渡の上に奉還し(現、元宮町)、同年上野町(現、橘通西二丁目四四番地 MAP に社地を築いて遷し奉った。
その後正徳五年(一七一五)と享保二年(一七一)に修理ご造営される。
この年神祇管領卜部朝臣兼敬卿の筆になる「正一位小戸大明神」の八字を彫書した神額が奉納され今に現存する。

延宝三年(一六七五)橘三喜は『一ノ宮巡詣記』に

 日向なる小戸の渡の浦こそは
 青人草の初めなりけれ

 とうたっている。

 さらに昭和七年(一九三二)一月橘通りの拡張に伴い、現鎮座地に移転を決し、昭和九年(一九三四)五月二十七日竣工、正遷座祭を執行し現在に至る。





一ノ鳥居




参道





南側鳥居





北側鳥居





小戸神社由緒





御神木





境内摂社 稲荷神社・恵毘須神社











参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
小戸神社公式ウェブサイト:http://www.odo-jinja.jp/