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2018年8月24日金曜日

名田神社

名田神社 (旧村社)





祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと
  :景清公霊神 かげきよこうれいしん

鎮座地:宮崎県宮崎市下北方町平ノ下五二一七ノ一

例祭日:十一月十日

社殿:本殿(流造) 三坪
  :拝殿 十八坪

境内坪数:三二一・二九坪

創立年月日:建久三壬子年(一一九二)

由緒沿革:
 当社は相模国、鶴岡八幡宮のご分霊を勧請している。
貞和四年(一三四八)十一月日州浮船城(都於郡城)主伊東大和守祐重公は宮殿を建立し、上北庄の土地二町五反を神領として寄進した。
名田は下北方村の一字地であるが、『日向地誌』には名田村として、「本村南隅赤江川の北岸にあり、元本村と分け別に一村をなす云々」とありさらにさかのぼって日向の国郡分帳には名田十二町とある。
また明平村としたものもあるが宮崎荘園の関係から名田が正しいという。

このような土地のあゆみのなかで神社は、明治四年十一月下北方村景清神社と合併、次いで同六年一月二十日には亀山旧社に景清霊神とも復元し、以来名田神社と称している。
それまでは、若宮神社といった。







摂社・白鬚明神社 大将軍社







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2018年4月1日日曜日

奈古神社

奈古神社 (旧郷社)






祭神:天津彦々火瓊々杵尊 あまつひこひこほのににぎのみこと
  :鵜葺草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと
  :神日本磐余彦天皇 かむやまといはれひこのすめらみこと - 神武天皇 じんむてんのう

鎮座地:宮崎県宮崎市南方町御供田一一九二番地

例祭日:九月十五 日

社殿:本殿 三坪
  :拝殿(切妻造) 八坪

境内坪数:三、三八六・三七坪

創立年月日:第十三代天皇成務天皇十三年(一四三)

由緒沿革:
 瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯(くしふるのみね)に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。
瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕(あたのながやのかささのみさき)に至り天神地祗を祀った。
のち成務天皇十三年武内宿祢(たけうちのすくね)が磐余彦命(いわれひこのみこと)・葺不合命(ふきあえずのみこと)を祀ったと、神社の縁起に伝えている。

 旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。
領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。
その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。

 明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。










末社・愛宕社





末社・小藪稲荷神社





末社・大将軍神社





三千日垢離成就塔

境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。








また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。





春神楽


平成三十年四月一日、春神楽が行われていました。
生活の安定を願い、豊作や豊猟(漁)を祈願し感謝する春神楽の舞が行われます。

奈古神社では宮崎市南方町御供田/鬼神の舞ともいわれる神楽です。


神事







浦安の舞






とこしこ







鬼神






細目【うずめ】









参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
奈古神社公式ホームページ http://nago-jinjya.or.jp/

2017年11月29日水曜日

矢的原神社

矢的原神社




祭神:天津彦火々出見尊 あまつひこほほでみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大島町八四七ノ一

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 矢的原神社に伝わる社殿の創建の時代詳らかならずも、太古天津彦火々出見尊、高千穂峯より此の処を檍原と目度を定められて御弓を射させ給ひしがその的石と言ひ伝ふる霊石あり。其の時は 檍原大権現と呼称し居たりと言ふ。今尚、原の権現様と呼称する。
昔から腹の神として町内始め広く町外の人々の参拝者がたえない。

昭和十三年(一九三八)、霧島神社(矢)、的石神社(的)、原権現神社(原)より三社合社して 矢的原神社となる。











社殿上部の鬼瓦




霧島神社(大島)

霧島神社(大島) (旧無格社)







祭神:彦火々出見尊 ひこほほでみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大島町平原九九七

例祭日:十二月十九日

社殿:本殿 二.二五坪

境内坪数:二一七.0一

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 昔より「檍原大権現」と称し、腹部の病に霊験あらたかな神社として、今に近郊よりの参拝が多い。
ご祭神が高千穂の峯より、ここを檍原と目度を定めて御矢を射られた古事により、今にその矢石という霊石があり、いつの頃からかこの霊石に殿舎を設けて奉祭したという。
なおここよりおよそ四十間を隔てて的石と称する奇石があり[ 矢的原神社 MAP ]、前記「彦火々出見尊のお弓を引かせて給いし時の御的なり」と言い伝え、同じく社殿を立てて奉祭するとともにご神体を霊石とする信仰からして、相当古い時代にその創祀が考えられる。
またご社名を同じくする霧島神社が日向式内社の一つであることなどからしてもその由緒の深いことを物語っている。










四十間先の矢的原神社境内の的石神社にて祀られている奇石







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年5月22日月曜日

皇宮神社

皇宮神社 宮崎神宮 元宮






祭神
 正殿:神日本磐余彦天皇 神武天皇 かむやまといわれひこのすめらみこと

 相殿:手研耳命 てぎしみみのみこと
   :吾平津姫命 あひらつひめのみこと
   :渟名川耳命 ぬなかわみみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市下北方町横小路五八八一番地二

例祭日:十月二十七日

社殿:本殿(神明造)

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 皇宮神社は今の宮崎神宮の地に宮居なされる以前の宮居の地か、或は行宮の跡であったのではなかろうかと思われます。
仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街地を縫い、実に皇居跡に相応しい聖地であります。
ご創建は不詳ですが、旧社殿は弘化四年(1847)六月藩費を以て再建され、明治十年(1877)三月二十一日宮崎神宮摂社に列せられています。
現在の社殿は昭和四十八年の伊勢神宮の第六十回神宮式年遷宮後、古殿舎撤下材(外宮下弊殿)を、昭和五十一年(1976)にご改築したものです。
同七月二十四日夜八時より遷座祭が斎行されました。










改築前宮跡 [MAP]






昭和十年(一九三五)十一月十四日の特別演習の折には、昭和天皇のご巡覧がありました。また昭和十五年(一九四〇)の紀元二千六百年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立されて顕彰されました。











参考:略記 宮崎神宮
宮崎神宮公式ウェブサイト:http://miyazakijingu.jp/

2017年4月30日日曜日

高屋神社

高屋神社 (旧村社)







祭神:彦火々出見命 ひこほほでみのみこと
  :豊玉姫命 とよたまひめのみこと
  :景行天皇 けいこうてんのう

鎮座地:宮崎県宮崎市村角町橘尊一九七五番地

例祭日:十一月十日

社殿:本殿(流造)六坪
  :拝殿(入母屋造)十五坪

境内坪数:一,〇五六.三坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(一六一一)社殿改造の棟木あり、また、仁明天皇嘉祥二年(八四九)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。

当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、『日本書紀』にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。
また、景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。

山陵付近には命にちなむ地名が残っている。

竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。
袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。
安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。
その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。

当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。







↓書き起こし文

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高屋神社


 宮崎市村角町字橘尊一九七五
祭神 彦火々出見命
 景行天皇
 豊玉姫命

 神社に関する縁起並びに棟木等によれば、人皇八代後陽成天皇の御宇慶長十六年(紀元二二七三年)に社殿の改造の棟木あり、又神官の系図により仁明天皇の嘉祥二年(紀元一五〇九年)に神官となりし事記載あり。このことによって、その由緒が伺える。

 更に神社の西方に小高き處あり、彦火々出見命の山稜と言伝う。即ち日本記に言う日向の高屋の山稜に葬るとあるは、即ち是なり。
鵜戸山寺建立並びに再興年代綠に景行天皇筑紫に座すこと四ケ年日向宮崎郡村角と言う處、天皇仮皇居地の霊山なり、高屋と言う神武天皇社(現在の宮崎神宮)に近し、日向五郎八院旧元集に景行天皇が、この高屋の宮を定めて、功臣武内宿称をして、彦火々出見命の山陵を定めて鎮祭し、高屋八幡宮と言う記録がある。

 右御陵より約五十米北方に母場御前と言う處あり、そこは火々出見命御降誕の時、竹刀で臍の緒を切った後、其の竹刀を投ぜ給ひし處で、中古迄は其の辺に孟宗竹ありしも、今は絶えてなく明治八年十二月開墾して、村役詰所の家屋を新築せり。

 北西の約百米隔てて、字安尊と言う處あり、火々出見命御降誕あらせ給いし所と言い伝う東の方五十米程隔てて胞之尊と言う處あり、火々出見命の御胞を納め奉りし所と言い伝え、今は宅地となりしが其の庭中に高屋神社祭典の節は、御奉納所と申し奉りて奉幣する處あり。
 又、天神川、御手洗川という川あり、天神川は火々出見命に献る御飯を炊きし處と言い伝えて村民此の川上の水口にて手足を洗うことなし。御手川は、天神川の下流で同命御降誕のとき鹿葺津比賣命が、臍の緒を切って御手を洗い給いし處と言い伝う。

 右の外に中尊、橘尊、京尊、高尊、ウ尊、クモ尊、正政所、助政所などと稱するところがある。
祭典の日 神輿東方松林の内に行幸し給う行宮所あり。

 此の所は仮の皇居と言い、又、当宮を西方へ六〇〇米の處に犬ヶ城と言う處あり、狗人の住み給う處なり、即ち火酢芹命の旧地と言い伝えられる。


例祭十一月二十三日

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境内社 若宮神社







また、境内参道周辺には、近隣より集め合祀されたと思われる、弘法大師像、猿田彦大明神などの石仏などが祀られています。







高屋神社神楽 平成二十八年三月指定宮崎市無形民俗文化財 

三月 社日祭

春神楽は村角神楽と呼ばれ、五穀豊穣や厄祓を祈念して舞われる。
当日は三十三番の演目のうち十八番が奉納される。







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年4月19日水曜日

大島神社

大島神社 (旧村社)






祭神:天津彦火瓊々杵尊 あまつひこほににぎのみこと
  :菅原道真公 すがわらみちざねこう

鎮座地:宮崎県宮崎市大島町本村二〇〇番地


例祭日:十一月十日

社殿:本殿(流造)  五坪
  :拝殿(切妻造)十二坪

境内坪数:二八〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 所蔵の天文五年(一五三六)八月三十日当社再興の棟札よりみて、それ以前の創祀である。
その後、文禄四年(一五六一)上棟一宇天神再興干時三月二十二日の棟札がある。
この棟札からして当時から天神様であり、いまに通称するはそれにならったものである。

棟札をさらにあげると、慶長十二年(一六〇七)丁未八月二十五日大旦那小河友兵衛によって、天神御社一宇の御造営とあるのをはじめ、

寛永十五年(一六三八)九月二十二日奉再興天神御社一宇
寛文四年(一六四四)上棟奉再興天神御社一宇
元禄四年(一六九一)霜月吉日、

等の棟札がその由緒を物語っている。

さらに天文三年神主源盛庸校正の「小戸大明神別宮摂末社神的略記」には
一座去本宮子丑第三十丁余、在大島村南向いし
とあり、その所在と方角を明記している。












参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年2月8日水曜日

宮崎神宮

宮崎神宮 (旧官幣大社)






祭神:神日本磐余彦天皇 かむやまといわれひこのすめらみこと


相殿:左 鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと

  :右 玉依姫尊 たまよりひめのみこと

鎮座地:宮崎市神宮二丁目四番一号


例祭日:十月二十六日


社殿:本殿(神明流造)約二〇坪

  :幣殿(神明造) 約六八坪
  :拝殿(神明流造)約一二坪

境内坪数:七八、九〇八坪


創立年月日:不詳


由緒沿革

 当社は社伝によれば、神武天皇の御孫、健磐龍命たけいわたつのみこと/熊本・阿蘇神社ご祭神が筑紫の鎮守であったとき、皇居の霊蹟に社祠を建て、天皇のご神霊をお祀りしたのが創建の始めであるとしている。下って第十代崇神天皇すじんてんのうの御宇、また第十二代景行天皇けいこうてんのうの熊襲ご親征にあたり、ご社殿が造営され、さらに第十五代応神天皇おうじんてんのうの御宇に日向の国造が老男命おいおのみことが鎮祭したとある。
 現在の社殿は神武天皇御降誕記念大祭記念事業の一環として、明治四十年に建て替えられたものです。









宮崎の住民には「神武さま」と呼ばれ親しまれています。





毎年十月末の宮崎神宮大祭では御鳳輦やミスシャンシャン馬などの御神幸行列宮崎市の中心部を二日間に渡って練り歩き、多くの見物客で賑わっています。





境内南東部には国指定天然記念物の「オオシラフジ」や国登録有形文化財の「徴古館」などもあります。


宮崎神宮徴古館 国登録有形文化財  [MAP]






 徴古館は、宝物や書籍等の展示のために建設された木造2階建の建物である。
規模は桁行18m・梁間11mで、海鼠(なまこ)壁という外壁に特徴がある。
屋根は寄棟造の桟瓦葺きで、西側正面には切妻形の屋根を付けた玄関を設ける。
窓は鉄格子をはめた上げ下げ窓を等間隔に配している。




オオシラフジ 国指定天然記念物 [MAP]

2017/4/23 撮影)







2017/5/1 撮影)








その他、境内社として宮崎県護国神社、
末社として五所稲荷神社が鎮座しており、
当境内より北西に鎮座する境外社の宮崎神宮元宮とも云われる皇宮神社
高原町に鎮座する別宮の狭野神社などがあります。







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]、宮崎神宮社務所配布パンフレット
宮崎神宮公式ウェブサイト:http://miyazakijingu.jp/
みやざき文化財情報:http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/3756