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2019年1月22日火曜日

姥ヶ嶽神社

姥ヶ嶽神社 (旧無格社)






祭神:彦五瀬命  ひこいつせのみこと
  :軻遇突智命  かぐつちのみこと
  :武甕槌神  たけみかづちのかみ
  :猿田彦命  さるたひこのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲九平 三九七六番地三

例祭日:十二月二十六日

社殿:本殿(神明造) 四五坪
  :拝殿(神明造) 六坪

境内坪数:七二・三

創立年月日:不詳



由緒沿革:
 当社は創立年月日不明であるが、棟札等は、安永五壬申年(一七七六)七月五日社殿再興とあるのが最も古い。
寛政十三年(一八〇一)酉年二月吉日社殿再興、天保十一年庚子年(一八四〇)十月吉日社殿再興、安政六己未年(一八五九)正月吉日社殿再興とある。

一説には鎌倉時代伊豆の伊東氏が当飫肥に転封され清武城を築城してより、この地に住民を定住させる事となりこの宮を建立されたともいう。

安井息軒(宮崎郡清武町出身、寛政十年正月六日生、明治九年九月没、伊東藩の儒者昌平黌教授)の著書に「姥神洞記」がある。

神社所在地の九平の地名は、高平・上高平・柳平・小平・内平・櫛平・収平・山之神平・児屋之平の九つの平を総括して九平と藩主が命名させたと伝えられている。

此の地は「南方より来る者此に至りて始めて宮崎児湯郡の地を望む」峠でもあった。安井の文にも「我聞姥ヶ嶽神者天狗也」とあるので道案内としての猿田彦命を祀ったと考えられる。

戦前はご祭神「武甕槌神」を戦捷の神として、また「彦五瀬神」は、弾避の神として信仰され出兵兵士の武運長久の祈願が盛んであった。「軻遇槌命」はこの神社を愛宕さまともいった由で火の神としての信仰もあったようである。

昭和三十年一月火災のため本殿、拝殿炎上、翌年六月本殿再興、また昭和五十一年一月拝殿再興する。
昭和五十八年四月二十二日神社本庁より姥ヶ嶽神社と承認を受ける。









参道・鳥居








こちらのお社は双石山という山の中腹に鎮座されています。九平登山口[MAP]からであれば
十分、二十分程の登路になります。小谷登山口[MAP]や塩鶴登山口[MAP]から登る場合は二時間程で双石山山頂を経てお社に到着します。
お詣りのみが目的であれば九平口から登った方が早いですが、小谷口からの登路はその途中に磐窟神社、針の耳神社があります。
また、山裾の国道二十七号沿いに秋葉神社や山乃神神社もあります。

初心者でも登りやすい山ではありますが、全てをお詣りするのであれば本格的な登山の準備をお勧めします。

 周辺地図→ https://goo.gl/maps/WbLqidDMGTm



九平登山口側には御神水を汲める場所があります。








参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2018年5月12日土曜日

丸野稲荷神社

丸野稲荷神社 (旧無格社)







祭神:正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
  :天之菩卑能命 あめのほひのみこと
  :八意思兼神 やごころおもいかねのかみ
  :猿田彦命 さるたひこのみこと
  :事代主命 ことしろぬしのみこと
  :建御雷之男神 たけみかづちのおのかみ

鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲八三五番地

社殿:本殿(流造)
  :拝殿(切妻造)

創立年月日:不詳


由緒沿革:
一、 国難を極めた天孫降臨で天照大神の期待に応じた神々、
 (1)正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 (天孫降臨の舞台裏を指揮)
 (2)天之菩卑能命 (葦原の中國へ第一次宣使の神)
 (3)八意思兼神 (知恵の神でいわば高天原の名参謀長役)
 (4)猿田彦命 (瓊々杵尊を道案内した神)
 (5)事代主命 (國譲りに理解を示した神で物事の理非をわきえ常識の優れた神) 恵比須さまとはこの神である
 (6)建御雷之男神 (全権代表となった神)

二、 國譲り「豊葦原中國」
 この國土は天神の子に捧げなさいと事代主命の正邪判別事のなりゆきを知る神らしい決断もあり、全権代表の神の、建御雷之男によって國譲りが決着した。
  (親)大國主命は大黒様に擬せられ 
  (子)事代主命は恵比須様にとして }親子ともども七福神に祀られる

三、 丸野神社(通稱「稲荷神社」)について
 鎮座地 宮崎市大字鏡洲八三五 番地に鎮座
 加江田渓谷入口の南西の丘上まします御祭神の大國主命の社殿があるこの社殿は明治四十二年に建設されたもので社殿の見ごとな彫物は近郷には又とない物ばかりで技の粋をほどこした物です。
 これ等には深い○○(不明)が思考されます。御祭神の大國主命は神代の出雲地方を領した神で高識見をもたれ人々の福祉の向上情熱をかたむけ果された神である
 又、天神 の國譲りを果たされる等、偉業は他に多くみられる
 先祖代々この丸野神社を祀る川添家の伝によれば伊豆に於いて伊東氏に仕えていたが伊東氏が地頭となり日向に下るのに従って、この地に移り住む事になり、その際開拓、五穀豊穣の神として又國土経営の神として崇め祀られています。
 昔は飫肥藩主伊家から社禄が給せられた神社である。
 祭祀・運営については川添家代々の当主が当り現在は宮司川添敏様が社務全般を司さどり神徳宣揚に尽くされている。

  丸野神社の主な御利益
    農業保護  開拓の守護  営業成就  商売繁盛

    五穀豊穣  家内安全   厄除開運  勝 運

    安 産   病気平癒   交通安全

 平成十七年一月吉日
   新御殿乎本乃如久改造里仕奉里畢閉奴以知氏此乃掲示板乎
   設置寿畄         丸野神社 宮司 川添
 









2017年4月12日水曜日

加江田神社

加江田神社 (旧郷社)







祭神:天照大御神 あまてらすおおみかみ
  :伊弉諾命 いざなぎのみこと
  :伊弉美命 いざなみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市学園木花台桜一ノ二九ノ四

例祭日:三月三日

社殿:本殿(神明造) 五.八坪
  :拝殿(流造)二〇.四七坪
~寛政十一年(一七九九)造営、飫肥藩伊東家寄進

境内坪数:九八〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 伊弉諾大神が檍原で禊された所として、元加江田村字中原という所に鎮座された。
寛文二年(一六六二)の大地震の時、海辺の一村は沈み、田畑高八五〇〇石が損失し、その他末社斟鉢神社(斟鉢山山頂付近)の社領も海に没した。
その時河野某なる者、ご神体を泥海の中から辛うじて奉り、字仮神という所に小社を過構えた。
寛文十二年(一六七二)九月十八日字丈之馬場へ遷し奉った。
寛政十一年(一七九九)九月二十九日ご殿並びに舞殿等を再興する。

此社は往古より加江田伊勢神明宮と称し、日向国旧社の一社である。
ことに皇室の大祖たる天照大神ご出生の霊蹟と云い伝えられ維新の際加江田神社と改称、郷社に列せられる。
維新以前は、飫肥藩崇敬社としてご神殿、祭具等伊東家のご紋を彫刻され、毎年二、六、九月の例祭には領主自ら参拝された。
祭典時には神事料、玄米弐石弐斗八升を下賜されたと伝えられている。

天照大神が上古天の長田狭田に御田作られし古事に準じ、毎年三月の例祭には社人牛を用いて田作りをする。
その時松葉を苗として植える。
里人は祭典修めを待ち其の苗を申し受け我が家の守り神として謹んで拝するのである。








境内に末社
斟鉢神社の遙拝所があります。






境内末社 福智神社






境内末社 御年神社




奉納碑




↓書き起こし文

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奉納碑

 当神社は、寛文二年(一六六二)の外
所大地震により水没した為、加江田元伊勢
から高台の当地に移転してきた。その後、
平成五年の台風で鳥居の倒壊を初め、境内
各所に大きな被害を受けた。
 その為、大地震から三百五十年にあた
る平成二十四年までに、元伊勢の風格にふ
さわしい本来の荘厳な姿を甦らせたいと整
備を進めてきた。平成二十一年には、天皇
陛下御即位二十年及び本殿再興二百十年を
記念し、社殿周囲の石垣積み等の大造営を
行った。また、最終整備として神社正面右
手と大楠を囲む石垣上に玉垣を、更に境内
に灯籠を設けようと計画準備していた。
 ところが、平成二十三年一月二十六日霧
島新燃岳の大噴火、同年三月十一日東日本
大震災と未曾有の大災害に見舞われた。天変
地異は日本列島の宿命ながら、当神社の氏
子崇敬者の神に対する畏敬の念更に強く、
社会情勢の厳しい中一致団結して、灯籠二
十四基、玉垣八十基を寄進し、この造営事
業を無事完成させた。
 天地悠久の大道である神道を以て、神職
氏子崇敬者一同、神のみこともちとして国
の復興、隆昌、世界の共存共栄を祈り奉納
するものである。

  平成二十四年二月二十四日

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伊勢神楽

毎年三月三日の春の例大祭で五穀豊穣を祈願して舞われています。
一時は舞手が一人になってしまい廃絶の危機にありましたが、平成十九年から地元の子供たちへの指導にあたるなど継承に努め、平成二十五年十月十五日には伊勢の式年遷宮で奉納されました。






参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]