ラベル 元宮崎市域-住吉地区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 元宮崎市域-住吉地区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年5月27日土曜日

新名爪八幡宮

新名爪八幡宮 (旧郷社)





祭神:誉田別命 ほむだわけのみこと
  :玉依姫命 たまよりひめのみこと
  :息長足姫命 おきながたらしひめのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字新名爪字四四四九番地(宮崎県宮崎市新名爪4449

例祭日:十一月十五 日

社殿:本殿(流八幡造)六坪
  :拝殿(入母屋造)十六坪

境内坪数:一、〇三〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 第八十一代安徳天皇の養和年中(一一八一~八二)この地に創建したもので、社伝によれば、豊前領主土持冠者左衛門景綱が日向の地頭の時、宇佐八幡宮の分霊を勧請したと伝える。
土持八幡宮、または単に八幡宮と称していた。
宇佐八幡宮新名爪別府については、『宇佐大鏡』によれば、治暦二年(一〇六六)とあることから、当時新名爪の鎮守として勧請したと思われる。

明治二年郷社となり、新名爪神社と改称したが、昭和四十八年旧称の新名爪八幡宮に戻し現在に至っている。






境内末社 左、若宮神社 右、一之宮神社・宮本神社 






また、室町時代の作といわれる舞楽面「陵王」(縦三十糎、横十八、鼻の高さ十三.五)が伝えられており、宮崎市指定の有形文化財に指定されている。

舞楽面は全国に散在しているが、中でも陵王の面は九州地方では、福岡県観世音寺、大分県宇佐八幡宮と、新名爪八幡宮に限られており、本面は豊後宇佐八幡宮の関係において存在し、その南限と思われる。
また、新名爪八幡宮の氏子にとっては、不老面(年をとらない面)と呼んで崇敬厚く、一方では恐怖感をいだきながら権威ある面として信じられ保存されてきたことは、文化的、民俗学的に意義あるものである。










参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2017年5月14日日曜日

住吉神社(塩路)

住吉神社 塩路 (旧村社)






祭神:表筒男命 うわつつおのみこと
  :中筒男命 なかつつおのみこと
  :底筒男命 そこつつおのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字塩路三〇八二番地

例祭日:旧一月十三日

社殿:本殿(住吉造)     五坪
  :拝殿(唐破風流造)二四.四坪

境内坪数:三、四二〇坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 神代の昔伊弉諾尊いざなぎのみことは、その妻伊弉冉尊いざなみのみことのお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕って塚穴に入られたので日向の橘の小戸の檍原に下られて御身の汚れを清められた。その禊祓の時現れた神々の中に表筒男・中筒男・底筒男の三神がある。

塩路にあるこの三神を祀った住吉神社は全国にある社の根源である。
大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに由緒ある住吉三神として名高い。
寛政六年(一七九四)編「住吉大明神略御縁起」によれば、第六代孝安天皇の命によって宮柱太しく建て申したのだという。

都於郡城主伊東義祐の「飫肥紀行」の中に
急ぎける程に檍原の波間よりあらわれ出でし住吉の里の近くに見え渡り、八重の潮路の松の秋風云々
というのがあり、

橘三喜の「一宮巡詣記」に

江田の御社に参りそれより檍が原の住吉に詣でて、尋ね来て聞けば心も住吉の松は檍が原の松原。この海辺に伊弉諾命の身そぎ給う上・中・下の三つの瀬ありと伝えし云々

とある。

縁起の中に「御社より二十余町の沖に上つ瀬があるといっている。そしてそこには石の華表があるという。それより南方に中津瀬があり、ここに伊弉諾・伊弉冉の二柱を祀る社がある。それより南に下つ瀬があり小戸大明神の神社がある。」と書かれている。

中つ瀬の社は江田神社であり、下つ瀬の神社は小戸神社で、もと当社は檍村大字吉村の下別府という所にあったが、寛文二年(一六六二)の地震で海中に没してしまった。縁起の下つ瀬というのは今の吉村の海である。

浜山にあるのが住吉神社の大元であり、日向の小戸の檍原というのは当社から大淀河口までの地であるということになる。









住吉神社由緒





左、境内社 大年神社・諏訪神社阿蘇神社




右、境内社 天照皇大神宮







住吉村営人車鉄道

大正時代、国鉄次郎ヶ別府駅(現日向住吉駅)と住吉神社間を結んでた人車鉄道。県営鉄道妻線建設に使ったトロッコ用軌條を持ってきたもので、人が後方から押して運転していた。
当時、住吉浜は景観に富み、訪れる人も多く、茶屋もあった。







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
写真集 宮崎100年[宮崎日日新聞社]

2017年4月12日水曜日

広原神社

広原神社 (旧村社)






祭神:大国主命 おおくにぬしのみこと
  :少彦名命 すくなひこなのみこと
  :手力男命 たじからおのみこと
  :倉稲魂命 うかのみたまのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字広原五八三二番地

例祭日:十一月三日(本来は十一月十五日

社殿:本殿(流造) 一.五坪
  :拝殿(入母屋造)十二坪

境内坪数:六四〇.三八坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 創建年代は明らかでないが、別当寺である極楽寺(現在は廃寺)の創建が鎌倉時代と考えられるので、その頃に極楽寺鎮護の社として建立されたものであろう。

明治維新以前は山王社と呼ばれ、今も氏子等は山王様と称している。

江戸時代以降、広原村の総鎮守の社となり、明治二十二年芳士、広原、島之内、新名爪、塩路の旧五ヵ村が合併して住吉村が成立してからは、大字広原の鎮守の社として地区民の尊崇をあつめてきた。明治二年に村社になる。

もとの鎮座地は、今の極楽寺地区の西、およそ三百メートルの所にあったが、余りにも不便な為、明治四十五年現在地に遷座された。
その為、境内にあった手力男神社も本社に合祀されて今日に至っている。末社に三野大明神(通称、寺大明神)がある。
本殿は昭和四十九年十一月、拝殿は昭和三十一年十二月、参道の階段は昭和四十年十一月に新設されたものである。




 




旧版略記


↓書き起こし

--------------------------------------------------------------------------------------------------

廣原神社略記

 江戸時代までは山王権現、または山王社
と称したが、明治二年に廣原神社と改称し
た。創建年代は極楽寺の創建と同じく鎌倉
時代にこの村の鎮護の社として祀られたもの
であろう。明治四十五年六月十一日に大字
広原字宮の下(通称鳥の迫)より現在地に
遷座され今日に至っている。
 本殿は昭和四十九年十一月、拝殿は昭和
三十一年十二月、手水舎は昭和六十三年
六月に改築、参道の階段は昭和四十年十一
月に新設されたものである。

神楽 約三百年位前から春秋の社日、祭
   典日に奉納され今日も続いている

ご神幸祭 大正七、八年頃浜下りが始ま
    り、途中とだえたが昭和二十六年
    に復活し、現在三年に一度の浜下
    りがあり帰り路に羽佐間周辺で
    神楽を奉納している。

       平成十年八月 記ス

--------------------------------------------------------------------------------------------------





参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]