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2020年11月20日金曜日

交通神社

 交通神社 (二千二十年創建)





祭神:神日本磐余彦天皇始奉日向乃國乃天津神国津神八百萬乃大神  かむやまといわれひこのすめらみことをはじめまつりひむかのくにのあまつかみくにつかみやおおろずかみのおおかみ



2020年11月20日宮崎駅前広場にオープンしたアミュプラザみやざきに新しく創建された神社です

宮崎を代表する宮崎神宮本社3柱(神武天皇、神武天皇の父母)の主祭神の分祠をお祭りすることで、宮崎神宮と同じご祭神となり、また県内各地にしずまります神々が集まります。








2019年6月6日木曜日

松井用水路 松井神社



 新井手堰 <MAP>




 松井用水路とは、江戸時代に宮崎市南部地域に清武川の水を引くために松井五郎兵衛儀長が私財をもって開削した用水路です。


 松井五郎兵衛儀長まついごろうべえよしなが)(元亀二年~明暦三年 [1571~1657])は江戸初期の人物で、寛永年間(1624~44)の頃、飫肥藩清武郷地頭とされている人物です。その祖は南北朝時代に日向に下向してきた細川小四郎義門という人物で、清武の南加納に細川政所まんどころという政庁(推定地)を置いて国富荘を治めていました。義門の子義遠の時、諸県郡の綾を領して姓を綾と改め、綾氏十六世に当る儀長の時に姓を松井と改めました。

 江戸時代まで飫肥藩領清武郷の内、東北方、西北方、上南方、下南方、上恒久、中恒久、田吉、岩切の八ヶ村(現在の宮崎市岩切、南方、北方、恒久、田吉等)は二百二十町(220ha)の田地がありつつも給水は雨水頼りで毎年のように水が不足していました。
 しかし、水を引こうにも中野より丘陵が横たわっていること、加えて南北の地勢の高低を測るのも容易ではなかった為、長らく問題が放置されていました。

 儀長はまず詳細に実地を調査し清武川と大淀川の両河川を観察し、清武川は河口より十四町(約1.5km)木崎原ノ後(現在の木崎橋付近)まで潮の満ちがあるのに対して、大淀川では河口より二里余り(約8km)小松辺り(現在の平和台大橋手前付近)まで潮が満ちてくるのを見て、大淀川の方が土地が低いことを発見し、ようやく心を決し大灌漑工事を行う計画を飫肥藩庁に願い出ます。

 始め藩庁では計画の難航を危ぶみ、また南より北に水が流れることを怪しみ聴許せずにいましたが、儀長の

此事某一人ニ任セラレナハ必す其功ヲ成サン万一事成ラスシテ中道ニ廃シナハ屠腹シテ罪ヲ謝セント思ヒ定メシ体

という建議によって遂に採用されます。

 そして寛永十六年巳卯(1639)十二月に工事を開始、上使橋の下流付近に井堰を築き取水口として、須田木丘(岩切)の岩盤を掘削して水路を延長していき、翌十七年庚辰(1640)三月には延長二里十五町(9.5km)の水路が完成しました。
 これによって灌漑された田地は二百餘町に及び、その余剰をもって新たに開田を進め、合計四百四十五町もの田地が大いに潤うこととなりました。

※四百四十五町(約450ha)=三万石以上(約30,000人が一年間に食べるお米の量

 儀長は工事開始のとき既に70歳という高齢でしたが、その後明暦三年丁酉(1657)に88歳で没しました。

 住民たちはその徳を慕い、寛延元年戊辰(1748)に恒久の稲荷山南東麓推定地に松井神社を建立、昭和九年(1934)に稲荷山頂上に移され、昭和十七年(1942)に現在地に改築移転されました。


 明治二十年(1887)、当時の宮崎・北那珂郡長の川越進(※)が儀長の功績について県を通じて国に上奏し、時の農商務大臣山縣有朋によって追賞されました。

※川越進旧飫肥藩士で清武郷の生まれ。鹿児島県議会議員に当選後、鹿児島県議会議長、及び宮崎県議会議長を経て、後に衆議院に当選し五期を務めた。宮崎分県運動の中心人物。


井堰は昭和九年(1934)にコンクリート堰に改築され、平成七年(1995)には県営農薬用河川工作物応急対策事業で井堰の全面改修を行い、現在でも当地区の田地に用水が張り巡らされています。








 井堰付近の記念碑






 取水口すぐ






 県道高岡郡司分線を跨ぐ箇所 <MAP>





 須田木丘手前付近 <MAP>







 看護大入口付近の案内板 <MAP>





 分岐点付近 <MAP>






 赤江中学校前 <MAP>





  稲荷山 松井神社 <MAP>










 稲荷山入口~農業高校グラウンド横 <MAP>





 恒久 住宅地内 <MAP>





 八重川合流地点 <MAP>






参考

赤江郷土史 / 石川恒太郎 編
日向水利史 / 松尾宇一 著
宮崎、歴史こぼれ話 No.76 江戸初期用水路を開鑿した松井五郎兵衛 / 前田博仁
宮崎県地方史研究紀要 第18-20輯「松井用水路について」 / 井上重光

2019年1月22日火曜日

姥ヶ嶽神社

姥ヶ嶽神社 (旧無格社)






祭神:彦五瀬命  ひこいつせのみこと
  :軻遇突智命  かぐつちのみこと
  :武甕槌神  たけみかづちのかみ
  :猿田彦命  さるたひこのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲九平 三九七六番地三

例祭日:十二月二十六日

社殿:本殿(神明造) 四五坪
  :拝殿(神明造) 六坪

境内坪数:七二・三

創立年月日:不詳



由緒沿革:
 当社は創立年月日不明であるが、棟札等は、安永五壬申年(一七七六)七月五日社殿再興とあるのが最も古い。
寛政十三年(一八〇一)酉年二月吉日社殿再興、天保十一年庚子年(一八四〇)十月吉日社殿再興、安政六己未年(一八五九)正月吉日社殿再興とある。

一説には鎌倉時代伊豆の伊東氏が当飫肥に転封され清武城を築城してより、この地に住民を定住させる事となりこの宮を建立されたともいう。

安井息軒(宮崎郡清武町出身、寛政十年正月六日生、明治九年九月没、伊東藩の儒者昌平黌教授)の著書に「姥神洞記」がある。

神社所在地の九平の地名は、高平・上高平・柳平・小平・内平・櫛平・収平・山之神平・児屋之平の九つの平を総括して九平と藩主が命名させたと伝えられている。

此の地は「南方より来る者此に至りて始めて宮崎児湯郡の地を望む」峠でもあった。安井の文にも「我聞姥ヶ嶽神者天狗也」とあるので道案内としての猿田彦命を祀ったと考えられる。

戦前はご祭神「武甕槌神」を戦捷の神として、また「彦五瀬神」は、弾避の神として信仰され出兵兵士の武運長久の祈願が盛んであった。「軻遇槌命」はこの神社を愛宕さまともいった由で火の神としての信仰もあったようである。

昭和三十年一月火災のため本殿、拝殿炎上、翌年六月本殿再興、また昭和五十一年一月拝殿再興する。
昭和五十八年四月二十二日神社本庁より姥ヶ嶽神社と承認を受ける。









参道・鳥居








こちらのお社は双石山という山の中腹に鎮座されています。九平登山口[MAP]からであれば
十分、二十分程の登路になります。小谷登山口[MAP]や塩鶴登山口[MAP]から登る場合は二時間程で双石山山頂を経てお社に到着します。
お詣りのみが目的であれば九平口から登った方が早いですが、小谷口からの登路はその途中に磐窟神社、針の耳神社があります。
また、山裾の国道二十七号沿いに秋葉神社や山乃神神社もあります。

初心者でも登りやすい山ではありますが、全てをお詣りするのであれば本格的な登山の準備をお勧めします。

 周辺地図→ https://goo.gl/maps/WbLqidDMGTm



九平登山口側には御神水を汲める場所があります。








参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2018年8月24日金曜日

名田神社

名田神社 (旧村社)





祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと
  :景清公霊神 かげきよこうれいしん

鎮座地:宮崎県宮崎市下北方町平ノ下五二一七ノ一

例祭日:十一月十日

社殿:本殿(流造) 三坪
  :拝殿 十八坪

境内坪数:三二一・二九坪

創立年月日:建久三壬子年(一一九二)

由緒沿革:
 当社は相模国、鶴岡八幡宮のご分霊を勧請している。
貞和四年(一三四八)十一月日州浮船城(都於郡城)主伊東大和守祐重公は宮殿を建立し、上北庄の土地二町五反を神領として寄進した。
名田は下北方村の一字地であるが、『日向地誌』には名田村として、「本村南隅赤江川の北岸にあり、元本村と分け別に一村をなす云々」とありさらにさかのぼって日向の国郡分帳には名田十二町とある。
また明平村としたものもあるが宮崎荘園の関係から名田が正しいという。

このような土地のあゆみのなかで神社は、明治四年十一月下北方村景清神社と合併、次いで同六年一月二十日には亀山旧社に景清霊神とも復元し、以来名田神社と称している。
それまでは、若宮神社といった。







摂社・白鬚明神社 大将軍社







参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

2018年5月12日土曜日

丸野稲荷神社

丸野稲荷神社 (旧無格社)







祭神:正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
  :天之菩卑能命 あめのほひのみこと
  :八意思兼神 やごころおもいかねのかみ
  :猿田彦命 さるたひこのみこと
  :事代主命 ことしろぬしのみこと
  :建御雷之男神 たけみかづちのおのかみ

鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲八三五番地

社殿:本殿(流造)
  :拝殿(切妻造)

創立年月日:不詳


由緒沿革:
一、 国難を極めた天孫降臨で天照大神の期待に応じた神々、
 (1)正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 (天孫降臨の舞台裏を指揮)
 (2)天之菩卑能命 (葦原の中國へ第一次宣使の神)
 (3)八意思兼神 (知恵の神でいわば高天原の名参謀長役)
 (4)猿田彦命 (瓊々杵尊を道案内した神)
 (5)事代主命 (國譲りに理解を示した神で物事の理非をわきえ常識の優れた神) 恵比須さまとはこの神である
 (6)建御雷之男神 (全権代表となった神)

二、 國譲り「豊葦原中國」
 この國土は天神の子に捧げなさいと事代主命の正邪判別事のなりゆきを知る神らしい決断もあり、全権代表の神の、建御雷之男によって國譲りが決着した。
  (親)大國主命は大黒様に擬せられ 
  (子)事代主命は恵比須様にとして }親子ともども七福神に祀られる

三、 丸野神社(通稱「稲荷神社」)について
 鎮座地 宮崎市大字鏡洲八三五 番地に鎮座
 加江田渓谷入口の南西の丘上まします御祭神の大國主命の社殿があるこの社殿は明治四十二年に建設されたもので社殿の見ごとな彫物は近郷には又とない物ばかりで技の粋をほどこした物です。
 これ等には深い○○(不明)が思考されます。御祭神の大國主命は神代の出雲地方を領した神で高識見をもたれ人々の福祉の向上情熱をかたむけ果された神である
 又、天神 の國譲りを果たされる等、偉業は他に多くみられる
 先祖代々この丸野神社を祀る川添家の伝によれば伊豆に於いて伊東氏に仕えていたが伊東氏が地頭となり日向に下るのに従って、この地に移り住む事になり、その際開拓、五穀豊穣の神として又國土経営の神として崇め祀られています。
 昔は飫肥藩主伊家から社禄が給せられた神社である。
 祭祀・運営については川添家代々の当主が当り現在は宮司川添敏様が社務全般を司さどり神徳宣揚に尽くされている。

  丸野神社の主な御利益
    農業保護  開拓の守護  営業成就  商売繁盛

    五穀豊穣  家内安全   厄除開運  勝 運

    安 産   病気平癒   交通安全

 平成十七年一月吉日
   新御殿乎本乃如久改造里仕奉里畢閉奴以知氏此乃掲示板乎
   設置寿畄         丸野神社 宮司 川添
 









2018年4月1日日曜日

奈古神社

奈古神社 (旧郷社)






祭神:天津彦々火瓊々杵尊 あまつひこひこほのににぎのみこと
  :鵜葺草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと
  :神日本磐余彦天皇 かむやまといはれひこのすめらみこと - 神武天皇 じんむてんのう

鎮座地:宮崎県宮崎市南方町御供田一一九二番地

例祭日:九月十五 日

社殿:本殿 三坪
  :拝殿(切妻造) 八坪

境内坪数:三、三八六・三七坪

創立年月日:第十三代天皇成務天皇十三年(一四三)

由緒沿革:
 瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯(くしふるのみね)に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。
瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕(あたのながやのかささのみさき)に至り天神地祗を祀った。
のち成務天皇十三年武内宿祢(たけうちのすくね)が磐余彦命(いわれひこのみこと)・葺不合命(ふきあえずのみこと)を祀ったと、神社の縁起に伝えている。

 旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。
領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。
その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。

 明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。










末社・愛宕社





末社・小藪稲荷神社





末社・大将軍神社





三千日垢離成就塔

境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。








また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。





春神楽


平成三十年四月一日、春神楽が行われていました。
生活の安定を願い、豊作や豊猟(漁)を祈願し感謝する春神楽の舞が行われます。

奈古神社では宮崎市南方町御供田/鬼神の舞ともいわれる神楽です。


神事







浦安の舞






とこしこ







鬼神






細目【うずめ】









参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
奈古神社公式ホームページ http://nago-jinjya.or.jp/