祭神:伊弉諾大神 いざなぎのおおかみ
鎮座地:宮崎県宮崎市鶴島三丁目九三番地
例祭日:十月十五日
社殿:本殿(流造) 七.五坪
:拝殿 五坪
:拝殿(流造)二七.五坪
境内坪数:四、〇八四.八坪
創立年月日:景行天皇の勅令により創建
由緒沿革:
当社は景行天皇の勅によって創建したものという。皇紀七百四十年代であろう。
古来より、今の大塚地区と下北方地区より下流域、すなわち旧市街地全域を小戸と称し、大淀川河口小戸町小戸の瀬は小戸神社鎮座の清浄の地として祀られ、今も夏祭の名越歌に
港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬、宝浮く
と歌いつがれ、三千年来、尊び敬われて来た。いわゆる、祓詞の筑紫の日向の橘の小戸という地名をそのままに、太古伊弉諾尊が禊祓をされたゆかりの地であり、皇祖天照大神をはじめ諸神ご誕生の聖地の神社であると伝える。
此後、文明五年(一四七一)癸己三月一八日社殿造営、延徳二年(一四九〇)庚戌八月社殿修復、天文一五年(一五四六)丙午四月一四日ついで永禄九年(一五六六)丙寅十二月二十六日社殿の改築がなされたが、永禄、天正の乱により、ご神領の三十町も断絶、多くの神宝及び旧記等も滅亡した。
その後寬文二年(一六六二)九月十九日西海大地震の際、高潮の災厄により下別府より大渡の上に奉還し(現、元宮町)、同年上野町(現、橘通西二丁目四四番地 MAP )に社地を築いて遷し奉った。
その後正徳五年(一七一五)と享保二年(一七一七)に修理ご造営される。
この年神祇管領卜部朝臣兼敬卿の筆になる「正一位小戸大明神」の八字を彫書した神額が奉納され今に現存する。
延宝三年(一六七五)橘三喜は『一ノ宮巡詣記』に
日向なる小戸の渡の浦こそは
青人草の初めなりけれ
とうたっている。
さらに昭和七年(一九三二)一月橘通りの拡張に伴い、現鎮座地に移転を決し、昭和九年(一九三四)五月二十七日竣工、正遷座祭を執行し現在に至る。
一ノ鳥居
参道
南側鳥居
北側鳥居
小戸神社由緒
御神木
境内摂社 稲荷神社・恵毘須神社
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
小戸神社公式ウェブサイト:http://www.odo-jinja.jp/
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