2017年5月15日月曜日

江田神社

江田神社 (旧県社)






祭神:伊邪那岐尊 いざなぎのみこと
  :伊邪那美尊 いざなみのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127-イ号・ロ号

例祭日:十一月二十二日

社殿:本殿(流造)三.四坪
  :拝殿(流造)十二坪

境内坪数:一〇.三四一、二四坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 当社の創建は詳らかではないが、「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、承和四年(八三七)八月朔日に都農神・妻神・霧島岑神とともに官社に列しており、平安期にはすでに創建されていたことがうかがえる。

鎮座地一帯は古来いわゆる日向の橘の小戸の阿波岐原として、伊邪那岐大神の禊祓の聖蹟と伝承されており、命の上つ瀬は瀬速し下つ瀬は瀬弱しといわれ、中つ瀬で禊祓いされた、その中つ瀬は、本社から二町位東の海中である。

寿永年間(一一八二~一一八四)伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領三十余町を有していた。

仁寿元年(八五一)十月従四位下を授けられ、貞観元年(八五九)従四位上に進められ、その後天禄元年までに天変地妖兵革等の年毎に叙位八回に及び、正一位に昇階ありと伝える。
醍醐天皇の延喜年間(九〇一~九二三)に於いて、延喜式内社日向四座の一社として「延喜式神名帳」に登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けた。
しかし、寛文年間に神社制度の変革をきたし、ついに一村落の産土神と同様の取扱いを受けるに至った。

明治六年(一八七三)五月二十五日社格は県社に列し、同四十年(一九〇七)二月九日神饌幣帛料の供進を指定され今日に至る。

特殊神事として、伊邪那岐尊の禊祓の故事にちなんだ「オンバレサマ」という浜下りの行事、茅の輪潜りなど大祓に関するものがある。









江田神社 御神木 クスノキ


 二ノ鳥居をくぐり右手にあります。
御神木下部のコブを素手で撫でるとご利益があると云われています。




古代の江田駅跡 案内板








月天子塔 (一ノ鳥居前)






また、境内より北部には伊邪那岐尊が禊払いを行ったと伝わるみそぎ池 [MAP] と、昭和三十四年に天照大神の御神霊に「阿波岐原みそぎ御殿を建つべし」との神託により奉建されたみそぎ御殿 [MAP] があります。

共に当社参道脇から市民の森公園 [MAP] を経た場所にあります。








参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

0 件のコメント:

コメントを投稿