2018年5月29日火曜日

夜泣橋

夜泣橋  佐土原町東上那珂






夜泣橋の由来

 昔のこの橋は木の橋で、宮崎飫肥に至る街道筋に存し、岩見堂の福城寺前には茶屋や馬の水呑場があり昼間は賑わったが夜は人も通らぬ寂しい村里だったという。
 この口伝えは、双子を持った母親がその一人をこの橋に捨児し、赤ちゃんは一晩中泣き続けていた。
 里人が朝早く行ってみたら、その姿はなく人々は口々に星の世界に昇ったといい、また心ある人が、拾いあげ育てたとも語り伝えられて、それ以来橋の欄干の柱の角を削り取り、その木片に火をつけ明るく輝く炎を泣き叫ぶ赤ん坊の全身の上にかざして大きく輪を描くとピタリと止む安らかな寝息に変わった。
 人々はこの橋が、我が身を燃やし夜泣子をなおして下さると、救いを求めて「夜泣橋」と呼ぶようになったという。

(宮崎の神話と伝説より)
平成十年四月吉日 岩見堂地区









2018年5月12日土曜日

丸野稲荷神社

丸野稲荷神社 (旧無格社)







祭神:正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
  :天之菩卑能命 あめのほひのみこと
  :八意思兼神 やごころおもいかねのかみ
  :猿田彦命 さるたひこのみこと
  :事代主命 ことしろぬしのみこと
  :建御雷之男神 たけみかづちのおのかみ

鎮座地:宮崎県宮崎市大字鏡洲八三五番地

社殿:本殿(流造)
  :拝殿(切妻造)

創立年月日:不詳


由緒沿革:
一、 国難を極めた天孫降臨で天照大神の期待に応じた神々、
 (1)正勝吾勝勝速速日天之忍穂耳命 (天孫降臨の舞台裏を指揮)
 (2)天之菩卑能命 (葦原の中國へ第一次宣使の神)
 (3)八意思兼神 (知恵の神でいわば高天原の名参謀長役)
 (4)猿田彦命 (瓊々杵尊を道案内した神)
 (5)事代主命 (國譲りに理解を示した神で物事の理非をわきえ常識の優れた神) 恵比須さまとはこの神である
 (6)建御雷之男神 (全権代表となった神)

二、 國譲り「豊葦原中國」
 この國土は天神の子に捧げなさいと事代主命の正邪判別事のなりゆきを知る神らしい決断もあり、全権代表の神の、建御雷之男によって國譲りが決着した。
  (親)大國主命は大黒様に擬せられ 
  (子)事代主命は恵比須様にとして }親子ともども七福神に祀られる

三、 丸野神社(通稱「稲荷神社」)について
 鎮座地 宮崎市大字鏡洲八三五 番地に鎮座
 加江田渓谷入口の南西の丘上まします御祭神の大國主命の社殿があるこの社殿は明治四十二年に建設されたもので社殿の見ごとな彫物は近郷には又とない物ばかりで技の粋をほどこした物です。
 これ等には深い○○(不明)が思考されます。御祭神の大國主命は神代の出雲地方を領した神で高識見をもたれ人々の福祉の向上情熱をかたむけ果された神である
 又、天神 の國譲りを果たされる等、偉業は他に多くみられる
 先祖代々この丸野神社を祀る川添家の伝によれば伊豆に於いて伊東氏に仕えていたが伊東氏が地頭となり日向に下るのに従って、この地に移り住む事になり、その際開拓、五穀豊穣の神として又國土経営の神として崇め祀られています。
 昔は飫肥藩主伊家から社禄が給せられた神社である。
 祭祀・運営については川添家代々の当主が当り現在は宮司川添敏様が社務全般を司さどり神徳宣揚に尽くされている。

  丸野神社の主な御利益
    農業保護  開拓の守護  営業成就  商売繁盛

    五穀豊穣  家内安全   厄除開運  勝 運

    安 産   病気平癒   交通安全

 平成十七年一月吉日
   新御殿乎本乃如久改造里仕奉里畢閉奴以知氏此乃掲示板乎
   設置寿畄         丸野神社 宮司 川添