2019年2月19日火曜日

ヅンブリ島の十万両


宮崎市大淀川南岸の田吉に姥ヶ島[MAP]という閑静な住宅地がありますが、昔この集落のヅンブリ島という地区が俄かに盛り上がったことがありました。
昭和三十一年六月十日付けの日向日日新聞(宮崎日日新聞の前身)に「ヅンブリ島に埋められた十万両」の記事が大きく取り上げられ、吉村町庄屋清水家に伝わる系図に「ヅンブリ島の十万両を埋めた」とはっきりと書かれていたとの事で、一躍埋蔵金探しが盛り上がったのだそうです。


系図には以下のように書かれています。

一、ヅンブリ嶋寛文壬寅年大地震津浪亡所後
元禄五壬申年御料所相成吉村預り被仰付候
其後元禄十四年巳年清水清蔵代請地願上被仰付候事官軍用金十万両嶋中程没埋用意有之
仍而後世子孫為記置也

訳文)
一、ヅンブリ島は寛文二年(1662)の大地震と津波で沈んでしまう。
元禄五年(1692)には幕府の天領となり吉村(の庄屋清水清左衛門)が預かりを仰せ付かる。
その後元禄十四年(1701)に(清左衛門の子の)清蔵が請地を願い出て、そこに官の軍用金十万両を埋めた。
よって後世子孫の為に記し置くなり。


十万両は記事掲載時の貨幣価値でも数十億とも言われていますが、その出所を慶長五年(1600)宮崎城落城の際の黄金だとか元禄十年(1694)の幕府の汚職事件の裏金などとしており、いずれも有り得ないとは言い切れないものの限りなく可能性の低い話であり、また実際に一部を掘り当てたという話こそ伝わってはいるものの真偽の怪しい話でもある為、現在までにその埋蔵金の発見には至っていません。


  ◇日向日日新聞に掲載された清水家系図








参考
檍郷土史 / 檍地区郷土史編さん委員会編
消えた赤江川 / 田代学 著