祭神:品陀和気命 ほんだわけのみこと - 応神天皇 おうじんてんのう
:玉依姫命 たまよりひめのみこと
:息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと - 神功皇后 じんぐうこうごう
鎮座地:宮崎県宮崎市大字柏原八二一番地
例祭日:三月十八日(春神楽)
社殿:本殿(八幡造)九坪
:拝殿(八幡造)十四坪
境内坪数:三一四.八八坪
創立年月日:正和四年(一三一五)八月
由緒沿革:
古記録によれば、正和四年(一三一五)八月、皇紀一九七五台九十五代花園天皇の御代、惟康親王の御時、守護職土持参河守栄嗣が国土治安を祈り豊前国宇佐宮の御分霊を勧請し奉りし神社と伝える。
当時社録を有し社司を置き神意赫々たるものがあったが、爾来幾多星霜を経て、康正年間(一四五五~)以後再三南北兵乱の地となり、ついに社録を失い一時衰頽を極めた。
元禄年間(一六八八~)再興し神意赫々と揚り氏子の崇拝篤く社殿の改築等時々行われ、明治四年(一八七一)十一月八幡宮の称号を改め柏原神社と改称して今日に至る。
御祭神応神天皇は大陸文化の輸入につとめられ機織技術が伝わり「王仁」が「論語」「千字文」を献じたのも御時であったと云われています。
御祭神の御父君は第十四代の仲哀天皇、御母君は神功皇后であります。
神功皇后は仲哀天皇御崩御ののちご懐妊のまま朝鮮半島に遠征なされ百済高句麗を制圧されたといわれています。
その後、応神天皇を御安産になり長年に亘り国事に当られたといわれています。
八幡様は全国に四万社あるといわれていますが、大分県の宇佐神宮がその総本宮であります。
八幡様は国民多数の信仰が厚く弓矢武神の神、学問の神、安産の神として特に有名であります。
社殿裏手、末社 仔細不明
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
0 件のコメント:
コメントを投稿