祭神:足仲彦天皇 たらしなかつひこのすめらみこと
:息気長足姫命 おきながたらしひめのみこと
:誉田天皇 ほんだのすめらみこと
鎮座地:宮崎県宮崎市島之内大字七五九九番地
例祭日:十一月十五日
社殿:本殿(流造) 四坪
:拝殿(入母屋造)八.八坪
~平成二〇年十一月改築
境内坪数:六三六坪
創立年月日:養老二年(七一八)十月十五日
由緒沿革:
社蔵の由緒によれば、筑前筥崎八幡宮より勧請、解除崎八幡と称していたと伝える。
往時は那珂郡広原一二〇町の大地主神として尊崇され、領主よりは十石の社領が寄進されていた。
また、「宇佐大鏡」によれば、永保三年(一〇八三)宇佐神宮領として広原荘が設置されたことから、宇佐八幡を勧請したのが起源ではないかとも思われる。当時広原八幡と称されたと伝えている。
慶長五年(一六〇〇)伊東、島津両氏の戦乱にかかり、社殿財宝ことごとく烏有に帰し古文書等も焼失した。
江戸期西海大地震後、寛文四年(一六六四)十一月再興の記録がある。
当社宮司家(児玉家)に伝わる紀元書によれば、応神天皇(誉田天皇)は仲哀天皇(足仲彦天皇)と神功皇后(息気長足姫命)の第四子に当たられ、御年四歳にして皇太子になられたが、父天皇早世の為母后摂政の間、老臣武内宿禰がこれを補佐して政務をとったと伝えている。
この故事から、古来幼童の守神、特に痴痢止、七五三の守神として、ご神徳高く広く信仰を集めている。
平成に入り島之内八幡神社改築検討委員会を立て上げ、地区会の資金と地区内外の浄財を財源として平成二十年(二〇〇八)十一月改築した。
境内社・若宮神社
また境内裏手には地区の祖霊社があり、また西方三百米には白山神社が鎮座しています。
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
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