2017年5月15日月曜日

みそぎ御殿

みそぎ御殿 (社格なし)







祭神:天照皇大御神 あまてらすおおみかみ
  :月読尊 つくよみのみこと
  :伊弉諾尊 いざなぎのみこと
  :伊弉冉尊 いざなみのみこと
  :級長津彦命 しなつひこのみこと
  :級長戸辺命 しとなべのみこと
  :豊受大御神 とようけのおおみかみ
  :倭姫命 やまとひめのみこと
  :瀬織津姫命 せおりつひめのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市山崎町字浜山

例祭日:四月三日

社殿:本殿(神明流造)
  :拝殿(流造)

創立年月日:昭和四十一年(一九六六)三月十二日

由緒沿革:
 祝詞の「日向の橘の小戸の阿波岐原」また古事記、日本書紀などにあるこの阿波岐原とは、この一帯を指し遠い神代の地名が今も伝承されている所です。
この阿波岐原は伊弉諾尊が禊祓(心身を清めること)の際に畏くも天照皇大神を初め月読尊、素戔嗚尊と住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)がお生まれになった聖域です。

昭和三十四年(一九五九)十一月十五日から十二月九日にわたり大神の御神霊は「阿波岐原みそぎ御殿を建つべし」との神託と御殿造営現地に誘導あり、これが神名ならびに御殿のはじまりとなり昭和四十年(一九六五)二月十五日天府の宮みそぎ御殿は奉建されました。

この御殿の神域は、その昔禊祓された伊弉諾尊が「神籬(ひもろぎ)をたて茅(ちがや)の注連(しめ)をめぐらし三・七・二十一日の間、天つ神の照鑑を仰ぎ給ひ祭祀神楽を執り行われた、尊い霊跡である」と神語されています。
即ち、この地は禊をすまされた伊弉諾尊が祭場を設けられ、そこに天つ神をお迎えして恭しくわが国の発展と国民の繁栄を祈願された所で住吉の由来がここに初めて明かとなった真に由緒深き霊地であります。

また「御殿造営なりしときは伊勢神宮に迎えに来い」と神託を賜り、昭和四十一年(一九六六)三月十二日伊勢神宮において厳かに神事奉楽ありて御神霊を拝受し、おまつりしてあります。

この神代霊跡の地に創建された御社には「天つ神、国つ神をはじめ全国の神々が神集う所」とも神語されており、神々のふるさと、みそぎ御殿は広大無辺の御神徳を垂れさせ給う尊いお宮であります。

御殿造営にあたり畏くも天照皇大神の御神霊は次の神詠をお授けになりました。


  御殿造営前 (昭和三十八年十月四日 於 江田神社前)

 阿波岐原ゆるぎなき世の礎を 閉ずともかたき岩戸や開かむ

  心みそぎて岩戸開かむ ただきわみなる人の真心


  御殿造営後 (昭和四十一年一月二十二日 於 御殿前)


 夜あけ鳥高らかに時つげぬ

     岩戸開くは暁の神


なお、この一帯には前記みそぎの御池の他、天照山天孫ニニギノ尊の祭地ならび日月天の祭祀地など御神霊の誘導により明かとなった神代の霊跡があります。

付記 みそぎ御殿創建の儀ならびに神代霊地は、霞会伊藤ヨ子女史に天啓を賜り明らかとなったものです。



また、本神社では神殿の撮影は禁止されています。
 




西の参道





東の鳥居










また、みそぎ御殿では拝礼の作法が他社とは違い、二拝・四拍手・拍手・一拝となっています。









ここより東方約二百米の所に天孫三宝の霊跡があります。三宝とは天照大神からニニギの尊でご親授の三種の神器でニニギの尊がここで親しく神宝のお祭りを執り行われた霊跡であります。
これより更に二十米東方に「天照山伊褒理(てんしょうやまいぼり)」があります。ここは神示によって明らかになった聖域で天つ神が御降臨された所で、神々の会議されし尊き神山である。
太古は大海原に面し波に襲われぬ所であった


みそぎ御殿奉賛会






日の光日月天の祭祀霊跡




神示によって明らかになった場所で
「日の光日の光日月天の祭り事をした大事な場所である」
即ちみそぎ祓いをすまされたイザナギの尊が、ここで太陽・月・風雨などの自然現象が平穏無事であることを天つ神に祈願されし尊い霊地であります。
この碑は是より約百米東方の丘陵地の松林の中にあったものを、公園整備の際ここにお移り願ってお祀りしているものである。

みそぎ御殿奉賛会




境内社 水神社 罔象女神 (みずはのめのかみ)









尚、以前は江田神社ご本殿右手後方からみそぎ御殿への参道があったようですが、現在は通行禁止となっているため、市民の森公園から入っていくのが最も判り易い道筋となっています。

公園内の下記のような案内に従っていけばすぐに辿りつけます。







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