祭神:猿田彦尊 さるたひこのみこと
:健速須佐之男命 たけはやすさのおのみこと
:倉稲魂尊 うかのみたまのみこと
:菅原道真 すがわらみちざね
:経津主尊 ふつぬしのみこと
鎮座地:宮崎県宮崎市大字有田二三一一番地
例祭日:十一月十三日
社殿:本殿(流破風造)四坪
:拝殿(入母屋造)十四.五坪
境内坪数:二、一七一坪三六
創立年月日:建久二年(一一九一)
由緒沿革:
当社は、文治六年(一一九〇)源頼朝が日向の地頭に工藤祐経(のち伊東と改姓)を任じた時に有田の鎮守として勧請し、時の鎌倉幕府は武運長久祈願のために社領高五十石を奉納した。
正治二年(一二〇〇)惟宗忠久公(のち島津と改姓)の領地となってからこの社領制は廃止された。
忠久は島津荘の始祖であり、以来島津荘の中にあったが、天正十三年編成の『日向五郡分帳』には宮崎之郡有田五町とあるところをみると、一時このような状態の時があったものであろう。
現在生目地区の中にあることを思えば数奇な歴史の歯車を感ずるものである。
しかし、有田村は薩摩藩に属し石高五七四石をもってご一新(明治維新)となり、明治四年三月鹿児島藩神社掛、文書奉行の橋口一郎、小森新蔵の両者が出張して新しい神社制度のもとに以前から祀られていた、
大将軍神社 - 健速須佐之男命 たけはやすさのおのみこと
天満神社 - 菅原道真 すがわらみちざね
森稲荷神社 - 倉稲魂尊 うかのみたまのみこと
以上、三社を合祀して白髭神社と称した。
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
0 件のコメント:
コメントを投稿