名田神社 (旧村社)
祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと
  :景清公霊神 かげきよこうれいしん
鎮座地:宮崎県宮崎市下北方町平ノ下五二一七ノ一
例祭日:十一月十日
社殿:本殿(流造) 三坪
  :拝殿 十八坪
境内坪数:三二一・二九坪
創立年月日:建久三壬子年(一一九二)
由緒沿革:
 当社は相模国、鶴岡八幡宮のご分霊を勧請している。
貞和四年(一三四八)十一月日州浮船城(都於郡城)主伊東大和守祐重公は宮殿を建立し、上北庄の土地二町五反を神領として寄進した。
名田は下北方村の一字地であるが、『日向地誌』には名田村として、「本村南隅赤江川の北岸にあり、元本村と分け別に一村をなす云々」とありさらにさかのぼって日向の国郡分帳には名田十二町とある。
また明平村としたものもあるが宮崎荘園の関係から名田が正しいという。
このような土地のあゆみのなかで神社は、明治四年十一月下北方村景清神社と合併、次いで同六年一月二十日には亀山旧社に景清霊神とも復元し、以来名田神社と称している。
それまでは、若宮神社といった。
摂社・白鬚明神社 大将軍社
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
 
 
 
 
 
青葉陸橋  宮崎市 青葉通り
現在の青葉通り、宮崎北警察署前からのざきクリニック前付近で、高架化する前のJR日豊本線を跨ぐ形で架かっていた陸橋。
高度経済成長を受け車社会へと発展していく中、繁華街や江平商店街から市東部側へ、及び赤江と市北部側へのバイパスとして、昭和四十五年(1970)四月一日に開通した。
 ▽長さ
  橋梁部   231.0M
  取付道   131.9M
  合計    363.9M
 ▽幅
  跨橋部   19.3M
  橋梁部   16.3M
  歩道    各1.5M
  自転車道  各1.0M
 ▽照明灯   14基 28灯
 ▽鉄道線路  五線、電化を見込む
 ▽事業開始  昭和四十年度
 ▽事業費   四億六百万円
 ▽工事事業者 九州鋼弦コンクリート(上部)、志田組(下部)
陸橋が架かっていたのは、現在の地図に合わせると以下の通りとなります。
その後二十年余りにわたって宮崎市街地の大動脈として機能しますが、市街地の拡大に伴い東西交通網分断の抜本的対策としてJR宮崎駅と共に日豊本線も高架化が進められ平成五年(1993)の高架化完了と時を同じくして陸橋も撤去されました。
現在、日豊本線跡は高架下の西隣に約2kmに渡って遊歩道が敷設されています。
トップの写真は青葉陸橋西詰跡に残る橋名板です。
同じく東詰付近にも橋名板があります。
往年の青葉陸橋の実物については下記リンク(みやざき市広報 317号 昭和45年4月号 / 10p目)にてご参照ください。
宮崎県史