祭神:天津彦々火瓊々杵尊 あまつひこひこほのににぎのみこと
:鵜葺草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと
:神日本磐余彦天皇 かむやまといはれひこのすめらみこと - 神武天皇 じんむてんのう
鎮座地:宮崎県宮崎市南方町御供田一一九二番地
例祭日:九月十五 日
社殿:本殿 三坪
:拝殿(切妻造) 八坪
境内坪数:三、三八六・三七坪
創立年月日:第十三代天皇成務天皇十三年(一四三)
由緒沿革:
瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯(くしふるのみね)に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。
瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕(あたのながやのかささのみさき)に至り天神地祗を祀った。
のち成務天皇十三年武内宿祢(たけうちのすくね)が磐余彦命(いわれひこのみこと)・葺不合命(ふきあえずのみこと)を祀ったと、神社の縁起に伝えている。
旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。
領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。
その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。
明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。
末社・愛宕社
末社・小藪稲荷神社
末社・大将軍神社
三千日垢離成就塔
境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。
また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。
春神楽
平成三十年四月一日、春神楽が行われていました。
生活の安定を願い、豊作や豊猟(漁)を祈願し感謝する春神楽の舞が行われます。
奈古神社では宮崎市南方町御供田/鬼神の舞ともいわれる神楽です。
神事
浦安の舞
とこしこ
鬼神
細目【うずめ】
参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]
奈古神社公式ホームページ http://nago-jinjya.or.jp/